現在、Bリハビリセンターの隣町に住んだ、別れた娘が1人います。当時は小学校5年生で毎週一回、会いに来てくれます。
親バカなんですが、お見舞いに来てくれるのが嬉しくて週末を楽しみにしています。他の家族、友人、医者、看護師よりも、誰よりも、娘といると落ち着いて入れたし、失語症で喋れないが何か安心出来ました。
当時は失語症で判らないんですが、今、考えると、普通は親が小学校に対して教える立場を取るが、この時は娘に本当に甘えてましたね。情けないと思う半面、娘の成長が本当に嬉しかったし頼もしかったです。
■娘の行動
- A大学病院に入院している時、当時は覚えていないのだが、娘が作ってくれた自作のカレンダーも貰いました。そこに書いている事は「頑張って!」と
- Bリハビリセンターに入院した時に毎週一回会った時、最後に「頑張って! 」と
■私の印象
- 今まで“頑張って”と言う言葉を色んな人から何千回、何万回とかけられたが、な失礼な話し挨拶程度にしか思ってなかった
■5月中旬に娘の言葉を受けて
- 5月中旬に娘の“頑張って!”と言う言葉は、何故か知らないが、挨拶では無く切実な、心に響く言葉だった
- 難しい意味は何もなく、真剣に病気が治ってと言う願いの言葉。死んではいけないんです。頑張って生きなきゃいけないんです
- 娘の前で泣きそうになりまして隠すのが精一杯になった
- 頭の中のイメージでは“娘に「凄いね!」と言われる”、“1年後に仕事を復帰する”
娘のお陰で、生きる力を貰ったんですが、記憶が忘れる事が多く退院して直ぐに忘れてしまいました…
※当時のイメージは“1年後に仕事を復帰する”と言っていたのですが、失語症の状況が分かっていなかった。症状にもよるけども殆どの場合、全失語症で病気前に姿を戻すことは難しいです。