プロフィール

猪狩 健夫
名 前
猪狩 健夫
いがり たけお
居住地
東京都23区
生年月日
1970年5月14日
出身地
東京都生まれ
趣 味
野球観戦、良さそうなリハビリ探索

プロフィール

平成25年2月10日(42歳)に脳梗塞で倒れました。
幸い一命は取り留めたが、後遺症は失語症と右半身不随。失語症の症状は医師から回復見込み0%の全失語症と言われ絶望していたが、発病から4~5年経った今は、まだまだ不完全ではありますが奇跡的に日常会話が出来る様になりました。右半身不随の足は車椅子 –> 杖 –>杖が不必要。腕は動くことが出来ない事から何とか、親指と人差し指で簡単な物が握れる様になりました。
平成30年からは失語症の体験談として講演会活動等をしております。

略歴

約25年間、業務系システム開発を通じて、プログラマー、システムエンジニア、チームリーダー、プロジェクトリーダー、プロジェクトマネージャ、コンサルタントと基礎から積み上げたITスキルを強みとしていた。クライアントのニーズに応じて、セールス活動支援、複雑なベンダー調整やトラブルを抱えるプロジェクトマネジメント支援など柔軟に対応できることがクライアントから高く評価されていた。IT会社を設立して代表取締役に就任し、病気のため2017年5月に会社を譲渡した。
2020年10月から一般会社のシステム部に就職し、二刀流(笑)で頑張っている。

失語症の皆様、笑っていますか?

会社を譲渡した理由は沢山有りますが、失語症(高次脳機能障害)になって、一切、忘れてちゃったんです。プログラム言語や報告書やプレゼン資料の書き方や構成及び図まで書けなくなり、悲しいと言うか、情けないと言うか・・・。

当時の私は失語症を怨みました。
でも、今は失語症になって良かったと思ってます。途中、苦しいこと、悲しいこと、情けないことがありましたが、今になってみれば楽しいことです。
誰かが言っていたのですが「考え方の角度を変えれば明るくなれるよ」と言った様に“見方の角度”、”私が楽しいと思う角度”を変えてみてください。

医者から言われたのが「失語症の回復には長い時間が掛かり完治は難しい」と言われ、私の解釈からすると「日常会話が出来る様になるには、1年間掛かる時もあれば、3年、5年、10年、10年以上掛かる時もある」と言うこと。リハビリを行って長い時間が掛かるならば、楽しいのが良いじゃないですか?

失語症の皆様、楽しんでいますか?もし、苦しいこと、悲しいことがあれば、考え方の角度を変えてみて下さい。ここにいる失語症患者の皆様なら出来ると信じています。楽しめる方法を一緒に探しましょう。

本サイトを作った経緯

発病から4~5年経ったある日、インターネットでガン患者の体験談は検索が出来るけれども、なぜ、失語症患者の体験談が余りないのだろうか?ST(言語聴覚士)の先生に伺ってみたら「文の構造を上手く組み立てられず、単語や短文でしか言葉が出てこないのです。だから文章を書くのが苦手なんです」と言われ、思わず納得しちゃいました。

同じ様な失語症患者(その家族)に対して、何かメッセージの様なものを発信したいと思いました。日常会話が何とか出来る様になった今、思い切って失語症の体験談を資料に纏めました。失語症なので「書く」のが遅く、文をまとめるのが苦手な私には、平成29年秋ぐらいから平成30年初夏迄書くのがかかり、やっと失語症の体験談資料の第1版が終わりました。

この8~9月ぐらいの間、失語症の体験談資料を作る事が切っ掛けになり、書き方や構成などが少なからず思い出して行き、物事を考える力も付いて行き、下記の通りの纏める事が出来ました。

  • 私が発病から今までの出来事を整理する
  • 私が失語症の障がいを伝える事を整理する
  • 私が精神的に回復できた要因や出来事を整理する
  • 障がい者のリハビリに必要なことを経験から整理する
  • 障かい者の家族が介護に必要なことを経験から整理する

まだ、失語症の体験談は書いていないことが沢山あります。これから、ゆっくりと書いて行き体験談が第2版、第3版と続々、版数が増えて行きます。回復見込み0%の全失語症と言われた私の経験が、一人でも多くの方の助けになればと考えています。このことが本サイトを作った経緯になります。

皆様(特に失語症患者とその家族)と講演会等でお会いすれば嬉しいと思います。